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[musictrack出張所--tabris@Iskandal] [ヤマトサウンド耳コピ作品ストリーミング配信サイト--宇宙戦艦ヤマトの音楽]

装飾と絵画の狭間

ミュシャを見てきた。これだけ展示点数の多い展覧会は珍しい。普段、複製ものや最近のリトグラフなんかは見かけることがあるが、油絵や彫刻、貴金属装飾、本の挿絵や習作など珍しい展示がたくさん。あっというまに3時間が経った。
しかし...実に素晴らしい。このところアラベスクにはまっているのだが、そのアラベスクの発想が至る所に見られ、またあのはっきりした輪郭線は浮世絵のようでもあり、また植物のようにデザイン化された装飾文字は、またアラビア文字の装飾化をうかがわせるものだった。と同時に、装飾パターンの「擬周期性」にも注目したい。同じ模様が並んでいるように見えて、決して同じものが並んでいない。パターンに使われている色もまた「擬周期的」だった。単なる繰り返しでもなく、また混沌でもない。その配置がまた絶妙だ。ZODIACなどは数学的な美しさを感じる。装飾のかけら一つとっても、どうしてそのような形が創造できるのか感嘆するばかりだった。
後半にミュシャによる植物の実に精密な写生が展示されていたのだが、根毛の先一つまできっちり形を撮っているのが印象的だった。あの太い輪郭線はミュシャ絵画の大きな特徴の一つだが、この写生を見ていると、ミュシャにとって輪郭線というのは物の形を切り取る為のものではなく、物と物の関係を繋ぐ為のものだったんじゃないだろうか、と、ふと思う。物と物の隙間は隙間なのではなく、それで一つの形を作っているのだ。
そうした微細部分での楽しみとは別に、思わずため息をついてしまうのが画面を大きく躍動させる全体の構図バランスの巧みさだ。植物のもつ成長の躍動というのか風が吹き抜けるようなというのか、大胆でしかし緻密に計算されつくしたような曲率をもった線の流れ。油絵においても装飾という視点で形を研究してきたミュシャだからこそ描ける構図と色彩配置とがあった。絵画として分かりやすいといえばそうかもしれないけれど、人々をひきつけて止まないのは事実だ。
webでも時々、ミュシャを意識した(というよりそのもの)絵を描いているページに出会う(例えばトスカーナに行ってみようとかFainted Sun)。あるいはミュシャの描き方はCGと相性がいいのかもしれない。実際Illustrator 10でミュシャを忠実に再現したという解説書もあるのだから。
ふと机の上を見上げると、9年前のミュシャ展の半券が挟んであった。9年経って全く違う見方でミュシャを楽しんだようにおもう。

Adobe Illustrator10スーパーガイドFor Windows

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