およそ、己自身の哀しみの吐露にも飽きがきた。
その一時、気が晴れはするが、
それではなんら旅路が進まぬことはよく分かっている。
感情よりずっと大切なものがあることを
もう10年以上前から実感していた。
感情もまた道具に過ぎないのだから。
それに気付かぬ故に、
あるいは気付いていてもその嵐の激しさ故に
度々己を見失い、膨大な時間を費やしてきた。
理性もまた道具だ。
より良くそして妥当な判断と行動をするための道具だ。
それら全ては、何のためにあるのか。
より良く豊に人生を生き抜くため、
などと呑気なことを言うつもりはない。
そもそも何故わたしたちは生きるのか。
気付いたら生きていた、
というのが正確なのだろうが、
私たちはその偶然に意味を見出そうとする。
一度きりの人生と見る限り、
人生はあまりに不条理で理不尽だ。
でも。
もしも、連綿と続く魂の遍歴として
今のこの人生を見たのなら... mixi 2007/02/07