Top | DTM | 私信 | Art | photo | goods | お仕事 | 雑記 | About
[musictrack出張所--tabris@Iskandal] [ヤマトサウンド耳コピ作品ストリーミング配信サイト--宇宙戦艦ヤマトの音楽]

魂の修行としての(2)



たとえば。

余りに未熟な両親の元に生まれてしまったがため、
日々親の顔色に恐々としながら、
十分に食べることも眠ることもできず、
気まぐれな「しつけ」という虐待で、
命を落とす子供たちがいる。

子供はみな、
ただ愛を注がれるがために生まれてくるというのに。


こないだ、小児癌でわずか数年で亡くなっていった
子供のドキュメンタリーを見た。
抗がん剤のひどい副作用、
移植による拒絶反応で全身の粘膜が破壊され、
口内は荒れ果て、腸の柔毛が削げ落ち、
何も食べることができない。

テレビで流れる食べもの番組を見ては泣き叫び、
「何か食わせろ」と餓鬼道に落ちんばかりに
母親に懇願する。
おそらくあらゆるものが食べ物に見えていたであろう。
それでも食べたらその後どんな酷いことになるか
その子はちゃんと理解していて、
ギリギリの線で耐え凌いでいた。

そんな中にいても、
その子は見舞いに来る妹に果てしなく優しく、
自分が元気な様子を見せようとする。

癌はやがて転移し、余命僅かとなる。
死の二日前、座っているのも儘ならないはずなのに、
勉強したいと、机に向かう。


なぁ、神様よ。
一体どういった理屈で、
こんな小さな子供にこれほどの重荷を背負わせるのだ。
この世の、旨いものも楽しいことも美しい景色も、
その全てを奪い去るのは何故なのだ。

この子は何故生まれてきたのだ?

神谷美恵子さんの言葉を借りれば
「私たちの代わりに引き受けてくださった」
とでも理解せよというのか。
この命の不条理さに、理不尽さに、そして非情さに、
私たちは、どう向き合うべきなのだろうか。

一度きりの人生、そう考える限り、
これほどの重荷を背負わされた子供に、
涙以外のどんな言葉を
投げかけられるというのだろうか。
mixi 2007/02/07