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愛されなかった時どう生きるか(4)


加藤諦三さんの著書、このタイトルに触発されて始めたこころの位置の再確認。
物心ついた時からずっと灯っていた炎がこのごろ消え逝きつつあるのを感じるようになった。
「愛されるとは愛することだ」という不思議なフレーズがずっとリフレインしている。同著者の偽りの愛・真実の愛の一節だ。
博愛としてでなくて、一対一の個人として人を愛するには、愛させてもらえなくては始まらない。「愛させてくれる」それは相手が愛を許してくれるということ。それは取りも直さず、愛されているということだ。
逆に相手の愛を許すとき、それはその人を愛していることに他ならない。
許さないうちは許されることもない。だが許すことは勇気のいることでもある。致命的に欠けているのはそこだ。だから中途半端に境界線を引き、許したくない相手にばかり踏み込まれてしまうのだろう。
消え逝く炎。消してしまったなら永遠に奴隷から解放されない。ずっとそう思ってきたが、案外それはどうでもいいことかもしれない。
これが、時の重みというやつだろうか。

 愛するとは何か?
 愛するとは自分に勝つことである。
 愛されるとは何か?
 愛することである。
 愛されることが愛することとは
 言葉がおかしいと思うかもしれないが、
 けっしてそうではない。
 愛されようとするものは決して愛されることがない。
 愛そうとするものだけが愛されるのである。
 愛されるためには
 愛する姿勢がなければならないのである。

     「偽りの愛・真実の愛」加藤諦三

mixi 2006/11/19